Inomata Koichiro’s diary

Inomatakoichiroという選手歴もない「ただの人」が「プロコーチ」になるまでに、大切にしてきた事を中心に綴ります。もちろん最新の情報や三菱養和情報も綴ります。

「ありがとう」という感謝の言葉は深い。

f:id:inomatakoichiro:20200914124952p:plain




皆さんは「ありがとう」の意味、しっかりと伝えることができるでしょうか。

「ありがとう」としっかり伝えましょう、ということを伝えてきた私は愚かでした。

 

ありがとうの意味。

勉強して気づきました。

いや足りなかった、いや浅かった。伝え切れていなかった。

 

先日幼児クラスのスクールで

ふざけて私の腕を爪を立てて引っ掻いてきた子がいました。

私に、子どもとの距離をとる術がなかったことが原因でも有るのですが、

「それはダメだよ〜、ダメなことした時はごめんなさいね」というと

号泣してしまいました。

 

一連の流れを母親にお伝えし、その日は終了。

 

次のスクールでその母親は私にこう話しかけてきました。

「先日のこと、父親とも話したんです。

父親は『しっかり叱ってくれる人が居て有難い。何となく見過ごして

きてしまったことが多かった気がする。本当に有難い』という話になりて。笑」と。

 

私に半分くらい非があるのですが。

 

モヤモヤしていた気持ちがスカッと晴れた気がしていました。

有難いなんて。自分にはもったいない言葉だとも思いました。

 

『有難い』とは調べて見ますと、

「有り難し」という言葉からなり、

「有ることが難しい」という意味、

転じて「めったにない、珍しく貴重なこと」の意。

 

この言葉の語源は仏典に書かれている「盲亀浮木(もうきうぼく)」と言われる話が語源とされています。

 

お釈迦様と弟子の阿南(あなん)という弟子に

「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか?」

と尋ねる事から始まり、

 

お釈迦様「100年に1度しか水面から顔を出さないという

盲目の亀が海に浮いている木の小さな穴に頭を入れることがあると思うか?」

 

といった弟子との問答の末、

「そのくらい人として生まれることは有難いことなんだ」というお話です。

 

このお話の詳細はこちら

bukkyouwakaru.com

 

 

このような語源を辿ってみると、こんなにも素晴らしい言葉。

「有難い」と言われたと思う本当に深い喜びを感じます。

 

そして、私は冒頭にも書いたとおり、

私自身は「足りなかった、いや浅かった。伝え切れていなかった」と言いましたが

何のことかと言えば、

大切なことは

「有難う(ありがとう)」を伝えることじゃなかったということです。

 

まずは「有り難し」ことだと「感じる心」が大切であり、

様々なことを「有り難く」感じる人こそ幸せ

であるということです。

 

その有り難さの感情を持ち、それを伝えることで自分だけでなく、幸せな気持ちが相手に伝わるから嬉しく、幸せな気持ちになっているということなのだと気づきました。

 

人それぞれ幸せの価値観は違うと思いますし、それは問題ではありません。

今身近に起きている些細なことを幸せと感じられる人でありたい、

そう思い今日は文章を書きました。

 

皆さんも振り返って見てください。

今日の有り難さを。

今日の幸せなことを。

 

何だか胡散臭い日記になってしまいました笑

決して何かを悟ったわけではございません。

さあグラウンドへ行こう。

 

 

勝利の味わい方

最近はDAZN効果で世界のサッカーを身近に感じられるようになり、

世界サッカーとの違いや、文化の違いなどが語られるようになりましたが、

私には重大な視点があまり語られていないような気がしています。

 

それは「勝利」についてです。

そして「選手」についてです。

 

選手って、多分勝った方が楽しい。

勝ち方にこだわりたいという選手もいるけど、負けたくない、勝ちたいという気持ちが

基本的にあるということ。

 

これがどうも世の中的に無視されている気がする。

選手を取り巻く家族や友達は勝っても負けても、その選手の頑張りを応援するということ。

こういったことは本当に尊いし、雑味がない。

 

どういった戦術で、どういう采配で選手がどんなプレーをするのかということが、

サッカーでは多く語られるのだけれど、

 

なんだかこういった、プレーする選手にも家族がいて、スタッフにも家族が居てっていう背景や、クラブで働くスタッフたちが選手を支えていて、そのスタッフにも当然家族が居てっていう、それらを包括して試合を見たときに、なんだかこの場は本当に様々なことが感じ取られて芸術的に見ることができる。

 

それらを感じた後での勝利というのは本当に喜びだし、美しく感じる。

そういった物語を見てクラブにはファンが増えるんじゃなかいなと思う。

 

そういうことをDAZNを見てサッカーファンになった人は、一度そういう視点も持って見てほしいと思う。

やっぱりスポーツはいいなってサッカーを含めて思ってほしいな。

 

スポーツが文化になる日を夢見て。

なんだか、感覚的に書く文章っていうのは汚いけど、たまにはいい。

 

ユース選手に備わった能力は「アンテナ」

f:id:inomatakoichiro:20200731072311j:plain

 

昨日は、ジュニアユースの練習にユース選手がたくさん参加してくれました。

ユース練習がお休みだったみたいです。

 

まあ普通はコンディションのことも考えたら、「休め!」って話しなんですが、

サッカーが好きなんですね。

 

ある選手はジュニア時代から順調に育ってくれた選手。

ジュニア→ジュニアユース→ユースと、様々なコーチがリレーしてここまで

繋いできました。

 

ユースの選手はやっぱりお兄さんだ。

後輩に対しても優しいし、プレーもやっぱり上手だ。

 

そして中学生とどんな差があるのかと言ったら、

 

アンテナ

 

だな。

 

情報をとる力が優れている。

経験から来ることもあるのだろうけど、

何か起きているのかを察する力、

何がこれから起きるのかを察知する力は本当に高い。

 

そして、アンテナというのは受信だけではない。

圧倒的に送信(アウトプット)が素晴らしい。

プレーもアウトプットだし、コーチングもアウトプット。

サッカーノートもアウトプットになるのだろう。

 

感じたことを言葉にして仲間に伝えることが本当にできる。

これは本当に大切なこと。

 

アウトプットは記憶を定着させる。

経験が積み重なる。

 

アウトプットできる選手はどんどんプレーが良くなるということだ。

どうしてアウトプットできる選手とできない選手がいるのか。

 

私は幼少期の家庭環境が大きく左右していると感じる。

熱心な親御さんの子どもは大抵アウトプットできない傾向にある。

 

これは、いつも親御さんに様々な命令を受けて行動をする習慣があるからだ。

要するに指示行動。考えることが苦手な子になってしまう。

言われたことをただ実行することのみ。

 

徹底的にアウトプット習慣をつけるに越したことはない。

これはサッカーという局面的な問題ではなく、生活の一部として、

アウトプットする習慣をつける必要がある。

 

芸術的な活動も必要かもしれない。

アート、音楽など、自分を表現する習慣。

自分を表現していい、という環境をおとなが用意していなければならない。

 

熱心な親御さんにはこう伝えておきたい。

「子どもは自分とは違う」ということ。

子どもにも人格があり自分とは性格も意見も違うことがあるということ。

 

子どもが自由に表現できる場、何にも影響されない自由でいられる場を

奪ってはいけないということ。

 

自分を自由に表現できる場所がある人は輝いている。

批判されないから表現できる。

自分を表現できる場所というのは、「自分を認めてくれる場所」ということ。

 

自分を認めてくれる人が居る場所が多ければ幸せなことだ。

世界中がお互いを認められるようになれればいいな。

 

批判的であったり、対立する関係ではなく、

建設的な意見を言い合えるような、違いがあってもお互いを認められるような、

対話するような関係が広まるといいな、と思う今日この頃。