Inomata Koichiro’s diary

Inomatakoichiroという選手歴もない「ただの人」が「プロコーチ」になるまでに、大切にしてきた事を中心に綴ります。もちろん最新の情報や三菱養和情報も綴ります。

日常と非日常の境界線

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日常を楽しめているか?という問いに皆さんは、どう答えられるだろうか。

 

新型コロナウィルス支配下の世の中、この状況を日常とした「ニューノーマル」もしくは、「withコロナ」時代に於いて「楽しめているよ!」という人はなかなか、いないのではないかと思う。

楽しんでいたとしても、何か楽しんでいるということを声を大きくして言えない世の中な気がする。

 

日本国憲法第25条の中には、

“すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。”

と記されているのにもかかわらず・・・。

 

人と人は距離を取ろう

会話は控えて

移動を減らそう

家に居よう

 

世の中は『死んだように生きよう!』と言わんばかりです。

 

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そして「非日常」的な体験を妄想し、「いつかは・・・」というように考えている人がほとんどなのではないか。

 

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しかし、こんな中でも楽しんでいる人は絶対にいる。 

 

ここにどんな差があるのかと考えたときに、

 

世の中の「新たしい日常(ニューノーマル)」に寄り添いながら、

「今(近い未来までを含む)」を観て、「非日常」的に生きているのではないだろうか。

 

つまり、日常なんてない。

毎日の変化に「気づく」ということ。

それは日々を感謝することなのかもしれない。

 

毎日が平和なことは尊い

そう気づくことなのかもしれない。

毎日の変化を感じ取り、成長していきたいと思う。

 

そんなことを考えつつ、それでも「非日常」をやっぱり体験したい!

だから一つ伝えておきたいことがある。

 

テレビでは飲食業のことばかりをフォーカスしているけれども、先に述べたように文化を守ってきた人たちは軒並み厳しい状況だということ。

 

文化とは芸術やスポーツの世界の人々だ。

サッカークラブを継続できなくなり、解散した事例もある。

芸事の世界は観客が高齢なため、開催も難しい。

世界ではコロナ禍で真っ先にこういった文化人を守る制度が立ち上がったと聞く。

 

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人が人らしくいるためには文化は欠かせない。

芸事やスポーツは不要不急だという人がいるかもしれないが、

人はこういった芸事やスポーツといった文化的活動により豊かでいられるのだ。

もちろんこれだけではないが。

 

文化的活動なくして人は成り立たない。

不要不急なことで人は生きているのだ。

 

私にも2人の子どもができて、

子どもにも大きな夢を持ってほしい、

楽しく生きてほしい、

文化的で過ごしやすい世界を残したい、そう思うようになりました。

 

そう思った時に、ある作品に出会いました。

今日はこれをご紹介して終わりにしたいと思います。

 

それは夢を持つ尊さを感じさせてくれる作品でした。

自分の気持ちを大切にしていい、と感じさせてくれる作品でした。

だから心から応援したいと思います。

 

なんでお前がそんなこと言い出したんだ、と思うかもしれませんが、

その理由は「応援したいから」です。

 

ただそれだけです。

 

ここに書いただけで何人かにみていただけるのであれば、それで十分です。

その上で、共感してくれる人が1人でもいたら満足です。

2人いたら、チョー満足です。

 

皆さんに紹介したいのは、

えんとつ町のプペル」です!

poupelle.com

 

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『映画 えんとつ町のプぺル』予告1【12月25日公開】

 


「HALLOWEEN PARTY-プペルVer.- 」( ダンス編 )


【永久保存版】キンコン西野さんに伝えたかったことを全部言います!神対談『西野亮廣×鴨頭嘉人』

 

みんなで応援しませんか?

poupelle.com

 

「ありがとう」という感謝の言葉は深い。

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皆さんは「ありがとう」の意味、しっかりと伝えることができるでしょうか。

「ありがとう」としっかり伝えましょう、ということを伝えてきた私は愚かでした。

 

ありがとうの意味。

勉強して気づきました。

いや足りなかった、いや浅かった。伝え切れていなかった。

 

先日幼児クラスのスクールで

ふざけて私の腕を爪を立てて引っ掻いてきた子がいました。

私に、子どもとの距離をとる術がなかったことが原因でも有るのですが、

「それはダメだよ〜、ダメなことした時はごめんなさいね」というと

号泣してしまいました。

 

一連の流れを母親にお伝えし、その日は終了。

 

次のスクールでその母親は私にこう話しかけてきました。

「先日のこと、父親とも話したんです。

父親は『しっかり叱ってくれる人が居て有難い。何となく見過ごして

きてしまったことが多かった気がする。本当に有難い』という話になりて。笑」と。

 

私に半分くらい非があるのですが。

 

モヤモヤしていた気持ちがスカッと晴れた気がしていました。

有難いなんて。自分にはもったいない言葉だとも思いました。

 

『有難い』とは調べて見ますと、

「有り難し」という言葉からなり、

「有ることが難しい」という意味、

転じて「めったにない、珍しく貴重なこと」の意。

 

この言葉の語源は仏典に書かれている「盲亀浮木(もうきうぼく)」と言われる話が語源とされています。

 

お釈迦様と弟子の阿南(あなん)という弟子に

「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか?」

と尋ねる事から始まり、

 

お釈迦様「100年に1度しか水面から顔を出さないという

盲目の亀が海に浮いている木の小さな穴に頭を入れることがあると思うか?」

 

といった弟子との問答の末、

「そのくらい人として生まれることは有難いことなんだ」というお話です。

 

このお話の詳細はこちら

bukkyouwakaru.com

 

 

このような語源を辿ってみると、こんなにも素晴らしい言葉。

「有難い」と言われたと思う本当に深い喜びを感じます。

 

そして、私は冒頭にも書いたとおり、

私自身は「足りなかった、いや浅かった。伝え切れていなかった」と言いましたが

何のことかと言えば、

大切なことは

「有難う(ありがとう)」を伝えることじゃなかったということです。

 

まずは「有り難し」ことだと「感じる心」が大切であり、

様々なことを「有り難く」感じる人こそ幸せ

であるということです。

 

その有り難さの感情を持ち、それを伝えることで自分だけでなく、幸せな気持ちが相手に伝わるから嬉しく、幸せな気持ちになっているということなのだと気づきました。

 

人それぞれ幸せの価値観は違うと思いますし、それは問題ではありません。

今身近に起きている些細なことを幸せと感じられる人でありたい、

そう思い今日は文章を書きました。

 

皆さんも振り返って見てください。

今日の有り難さを。

今日の幸せなことを。

 

何だか胡散臭い日記になってしまいました笑

決して何かを悟ったわけではございません。

さあグラウンドへ行こう。

 

 

勝利の味わい方

最近はDAZN効果で世界のサッカーを身近に感じられるようになり、

世界サッカーとの違いや、文化の違いなどが語られるようになりましたが、

私には重大な視点があまり語られていないような気がしています。

 

それは「勝利」についてです。

そして「選手」についてです。

 

選手って、多分勝った方が楽しい。

勝ち方にこだわりたいという選手もいるけど、負けたくない、勝ちたいという気持ちが

基本的にあるということ。

 

これがどうも世の中的に無視されている気がする。

選手を取り巻く家族や友達は勝っても負けても、その選手の頑張りを応援するということ。

こういったことは本当に尊いし、雑味がない。

 

どういった戦術で、どういう采配で選手がどんなプレーをするのかということが、

サッカーでは多く語られるのだけれど、

 

なんだかこういった、プレーする選手にも家族がいて、スタッフにも家族が居てっていう背景や、クラブで働くスタッフたちが選手を支えていて、そのスタッフにも当然家族が居てっていう、それらを包括して試合を見たときに、なんだかこの場は本当に様々なことが感じ取られて芸術的に見ることができる。

 

それらを感じた後での勝利というのは本当に喜びだし、美しく感じる。

そういった物語を見てクラブにはファンが増えるんじゃなかいなと思う。

 

そういうことをDAZNを見てサッカーファンになった人は、一度そういう視点も持って見てほしいと思う。

やっぱりスポーツはいいなってサッカーを含めて思ってほしいな。

 

スポーツが文化になる日を夢見て。

なんだか、感覚的に書く文章っていうのは汚いけど、たまにはいい。