Inomata Koichiro’s diary

Inomatakoichiroという選手歴もない「ただの人」が「プロコーチ」になるまでに、大切にしてきた事を中心に綴ります。もちろん最新の情報や三菱養和情報も綴ります。

「はたらく」の意味

みなさんこんばんは。

 

コロナ療養期間も折り返し地点となりました。

本当に外に出ることができるということが貴重だったことを改めて実感しております。

 

体調としては平熱に戻り、からだは復調の兆しを見せております。

もう良い加減寝ているのも辛く、私のカバーをしてくれている人々の顔が目に浮かび、申し訳なさをすごく感じる日々です。

 

養和のみなさま、調布の皆様ご迷惑をおかけし申し訳ありません。

 

昨日の第6地域トレセンも私が担当だったにも関わらず、担当していただいたS口様、本当にお世話になりました。

※この第6地域トレセンのメニューに関しては別に記事にしてみようかななんて思っています。興味ある人がいるかは知りませんが。

 

という近況の通り療養生活を強いられているわけですが、からだも少し動くようになったので、今日は様々気にかかっていた雑務を行いました。

久しぶりにはたらいたなぁと少しだけ、時間の使い方を思い出したような気もしました。

 

元気な時であれば、Netflixみまくって、ゲーム終わるのかななんて思っていましたが、そんな過ごし方は半日くらいで飽きました。というか結構疲れる。

でもなんでか仕事ってそういう感じがしないんですよね〜。

やっぱり使っている脳が違うんですかね。

違う集中をしていて、なんだかおわった時には「スッキリ!」していました。

 

「はたらく」という意味は、

「はた」・・・近くの人

「らく」・・・楽

にすること。といわれていますし、

人のために動くと書いて「働」くです。

 

やっぱりだれかのために動くとなんか気持ちがいいんでしょうか。

そんなことをすこしだけ感じた今日でした。

 

働くことは稼ぐこと、という感覚でもあるわけですが、

どうせならだれかのためになったな〜!

というほうが良くないですかね?

世の中のために自分は貢献できたー!

と大きく感じることはまだできないのですが、

今後そんな感じで実感できる日が来るよう日々精進します!

 

おやすみなさい〜🌟

非日常が日常ということ。

新年早々、流行病にかかりまして。

苦しい日々を過ごしています。

 

いつも当たり前のように過ごしていた日々は

やっぱり当たり前ではないのですね。

 

今年は健康にも気をつけよう!と意気込んでいたものの1週間もまたずしてこの状況になってしまいました。

健康のありがたさを実感します。

そして、家族のありがたさといったらありません。

 

家では当然隔離生活をしています。

現代のテクノロジーのおかげで幼い子どもたちとはLINEのテレビ電話でコミュニケーションをとることができています。

 

だけどドアの前に置いてあった手紙にはグッとくるものがありました。

彼女たちが私におくってくれたものは、こんなにも読みづらくてなにが書いてあるか大抵の人にはわからないものでも感じ入るものがあると、未来の方々に残したい文化だなと思います。

 

流行り病(コロナ)は致死率は低いとも言われていたりしますが、私の近くでも亡くなった方がいらっしゃり、「死」についてもやはり少し考えてみました。

少し前だったら、カッコよく死にたい、ぽっくりといつのまにか死んで、といったことをかんがえていましたが、ちょっとだけ考えに変化がありました。

どちらかというと、少しでも生きたい、と考えるようになりました。

この大切な家族と少しでも生きて過ごしたい。

そうわがままになってもいいかなと思うようになりました。

 

大切な家族がいることに感謝し、今日は少し早く眠りにつきたいと思います。

おやすみなさい。

本年もよろしくお願いいたします。

2023年

本年もよろしくお願いいたします。

 

昨年は多方面でお世話になりました。

2022年のスタートは色々仕込んで、考えて考えて・・・

いや「行動だ!」と動いた一年でありました。

 

動いたことで気づくことがたくさんあったのも事実。

なにしろ考えていないでまず行動して修正していけばいいかな!と考えないし、今年2023年はやっぱり「挑戦の継続」ということで走り続けていきたいと思います。

 

そんな気の向くままに動く私をどうかお許しください。

本年もよろしくお願いいたします。