Inomata Koichiro’s diary

Inomatakoichiroという選手歴もない「ただの人」が「プロコーチ」になるまでに、大切にしてきた事を中心に綴ります。もちろん最新の情報や三菱養和情報も綴ります。

クラブと高体連、その先にあるもの

f:id:inomatakoichiro:20210221003415p:plain

今日はFUJI  XEROX  SUPER  CUP 2021 NEXT GENERATIONSCUP MATCH

という大会が行われました。

www.jleague.jp

 

今年は川崎フロンターレU-18 vs 日本高校サッカー選抜

とくいわば「クラブ」対「高校選抜」という二項対立。

 

こういうのはどうなんですかね。

 

私としては↑のような意見です。

 

お互いが良い刺激を与え合えるようなそんな取り組みとしていただきたいなと

思った一日でした。

 

私自身は高校出身ですが、クラブに所属しコーチをしています。

 

どちらの良さもわかっているつもりですが、私自身は高校の先生方に

学ぶことが本当に多かった。

 

私は2016年に国体少年のスタッフとして関わらせていただきましたが、

その時のスタッフたちは本当に学ぶことが多く、人生を振り返っても

こんなに豊かに成長させてもらった経験はあまりありません。

 

どう人と向き合うのか、

どう人を動かすのか、

なぜ人は動くのか、

どうして心が動くのか。

 

様々な事を吸収することができました。

そして今の自分がいるのだと思います。

 

クラブと高校は共に歩み寄り、学び合い、良い方向へと向かう、

そういった営みに意味があるのではないでしょうか。

f:id:inomatakoichiro:20210221001814j:plain



あけましておめでとうございます。

f:id:inomatakoichiro:20210101235037p:plain

皆さん、あけましておめでとうございます。

 

もう1月1日は終わりそうですが、

(多分これを書き終わる時にはきっと2日になってしまうと思う)

まずは2020年を振り返ってみようと思います。

 

2020年は大きくは「世の中のためになる」ということを大テーマとしてTwitterに力を入れてみようかな、と少しよぎって緩くスタートしてみたわけですが、そのあたりから1年経って緩くやっていただけに世の中の役に立つどころか、ただの小言感が出てしまいました。

 

Twitterも1月初めのツイートはカルロスゴーンネタでした。

 

そして新型コロナウィルスという誰も経験したことがないような環境に打ちひしがれ、自分の無力さというものを味わいました。

かつて東日本大震災の時に味わったような感覚です。

 

このような状況で中学1年生を受け入れるということは、私自身初めてのことであり、四苦八苦しながら手探りな期間を過ごしました。

 

ロックダウン。

勤務もなくなり、公園も封鎖され、初めてご近所さんとの会話をしました。

少し昭和な気分を味わい、「これも悪くない」と感じた日々。

 

家族との時間が増え、今までの借金(失われた家族との時間)を返済した期間でした。

家族の大切さを実感。

 

部分的に出勤が許可され、うちの会社では珍しくオフィシャルで動画配信を行い始めました。

 

もちろんサッカーコーチとしてはたくさんの動画配信を行い、選手に発信はしていたわけですが、動画をオフィシャルでというとたくさんの障壁が今までありましたが、こんな時は簡単にいろんなものが突破されて行くものだと関心しました。

 

スクール再開に向けてコーチたちも準備を始め、様々な想定のものと準備をリモートで進めていきました。

 

そして再開への最終準備

 

 

サッカーが出来る有り難さを実感した1年でした。

 

この有り難さを忘れずに、日々過ごしていきたいと思います。

 

今年は挑戦の年。

再度発信に力を入れていきたいと思います。

継続は力なり、とはよく言ったものですが、私は飽きやすい。

本当に続かない。自覚しています。

必要とされているのか、わからないことに時間を費やす必要あるのか、わかりませんが1人でも私の発信を見てくれている限り細ーーーーくがんばっていきます。

 

そして、サッカーを外から見る準備を進めます。

サッカーに関わるものとして、今私に出来ることをこれからも続けていきたいと思います。

 

本年もよろしくお願い致します。

 

猪俣 孝一郎

日常と非日常の境界線

f:id:inomatakoichiro:20201209103137p:plain



日常を楽しめているか?という問いに皆さんは、どう答えられるだろうか。

 

新型コロナウィルス支配下の世の中、この状況を日常とした「ニューノーマル」もしくは、「withコロナ」時代に於いて「楽しめているよ!」という人はなかなか、いないのではないかと思う。

楽しんでいたとしても、何か楽しんでいるということを声を大きくして言えない世の中な気がする。

 

日本国憲法第25条の中には、

“すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。”

と記されているのにもかかわらず・・・。

 

人と人は距離を取ろう

会話は控えて

移動を減らそう

家に居よう

 

世の中は『死んだように生きよう!』と言わんばかりです。

 

f:id:inomatakoichiro:20201209103340j:plain



 

そして「非日常」的な体験を妄想し、「いつかは・・・」というように考えている人がほとんどなのではないか。

 

f:id:inomatakoichiro:20201209103405j:plain



 

しかし、こんな中でも楽しんでいる人は絶対にいる。 

 

ここにどんな差があるのかと考えたときに、

 

世の中の「新たしい日常(ニューノーマル)」に寄り添いながら、

「今(近い未来までを含む)」を観て、「非日常」的に生きているのではないだろうか。

 

つまり、日常なんてない。

毎日の変化に「気づく」ということ。

それは日々を感謝することなのかもしれない。

 

毎日が平和なことは尊い

そう気づくことなのかもしれない。

毎日の変化を感じ取り、成長していきたいと思う。

 

そんなことを考えつつ、それでも「非日常」をやっぱり体験したい!

だから一つ伝えておきたいことがある。

 

テレビでは飲食業のことばかりをフォーカスしているけれども、先に述べたように文化を守ってきた人たちは軒並み厳しい状況だということ。

 

文化とは芸術やスポーツの世界の人々だ。

サッカークラブを継続できなくなり、解散した事例もある。

芸事の世界は観客が高齢なため、開催も難しい。

世界ではコロナ禍で真っ先にこういった文化人を守る制度が立ち上がったと聞く。

 

f:id:inomatakoichiro:20201209103609j:plain

 

人が人らしくいるためには文化は欠かせない。

芸事やスポーツは不要不急だという人がいるかもしれないが、

人はこういった芸事やスポーツといった文化的活動により豊かでいられるのだ。

もちろんこれだけではないが。

 

文化的活動なくして人は成り立たない。

不要不急なことで人は生きているのだ。

 

私にも2人の子どもができて、

子どもにも大きな夢を持ってほしい、

楽しく生きてほしい、

文化的で過ごしやすい世界を残したい、そう思うようになりました。

 

そう思った時に、ある作品に出会いました。

今日はこれをご紹介して終わりにしたいと思います。

 

それは夢を持つ尊さを感じさせてくれる作品でした。

自分の気持ちを大切にしていい、と感じさせてくれる作品でした。

だから心から応援したいと思います。

 

なんでお前がそんなこと言い出したんだ、と思うかもしれませんが、

その理由は「応援したいから」です。

 

ただそれだけです。

 

ここに書いただけで何人かにみていただけるのであれば、それで十分です。

その上で、共感してくれる人が1人でもいたら満足です。

2人いたら、チョー満足です。

 

皆さんに紹介したいのは、

えんとつ町のプペル」です!

poupelle.com

 

f:id:inomatakoichiro:20201209110143p:plain


 


『映画 えんとつ町のプぺル』予告1【12月25日公開】

 


「HALLOWEEN PARTY-プペルVer.- 」( ダンス編 )


【永久保存版】キンコン西野さんに伝えたかったことを全部言います!神対談『西野亮廣×鴨頭嘉人』

 

みんなで応援しませんか?

poupelle.com