Inomata Koichiro’s diary

Inomatakoichiroという選手歴もない「ただの人」が「プロコーチ」になるまでに、大切にしてきた事を中心に綴ります。もちろん最新の情報や三菱養和情報も綴ります。

「ありがとう」という感謝の言葉は深い。

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皆さんは「ありがとう」の意味、しっかりと伝えることができるでしょうか。

「ありがとう」としっかり伝えましょう、ということを伝えてきた私は愚かでした。

 

ありがとうの意味。

勉強して気づきました。

いや足りなかった、いや浅かった。伝え切れていなかった。

 

先日幼児クラスのスクールで

ふざけて私の腕を爪を立てて引っ掻いてきた子がいました。

私に、子どもとの距離をとる術がなかったことが原因でも有るのですが、

「それはダメだよ〜、ダメなことした時はごめんなさいね」というと

号泣してしまいました。

 

一連の流れを母親にお伝えし、その日は終了。

 

次のスクールでその母親は私にこう話しかけてきました。

「先日のこと、父親とも話したんです。

父親は『しっかり叱ってくれる人が居て有難い。何となく見過ごして

きてしまったことが多かった気がする。本当に有難い』という話になりて。笑」と。

 

私に半分くらい非があるのですが。

 

モヤモヤしていた気持ちがスカッと晴れた気がしていました。

有難いなんて。自分にはもったいない言葉だとも思いました。

 

『有難い』とは調べて見ますと、

「有り難し」という言葉からなり、

「有ることが難しい」という意味、

転じて「めったにない、珍しく貴重なこと」の意。

 

この言葉の語源は仏典に書かれている「盲亀浮木(もうきうぼく)」と言われる話が語源とされています。

 

お釈迦様と弟子の阿南(あなん)という弟子に

「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか?」

と尋ねる事から始まり、

 

お釈迦様「100年に1度しか水面から顔を出さないという

盲目の亀が海に浮いている木の小さな穴に頭を入れることがあると思うか?」

 

といった弟子との問答の末、

「そのくらい人として生まれることは有難いことなんだ」というお話です。

 

このお話の詳細はこちら

bukkyouwakaru.com

 

 

このような語源を辿ってみると、こんなにも素晴らしい言葉。

「有難い」と言われたと思う本当に深い喜びを感じます。

 

そして、私は冒頭にも書いたとおり、

私自身は「足りなかった、いや浅かった。伝え切れていなかった」と言いましたが

何のことかと言えば、

大切なことは

「有難う(ありがとう)」を伝えることじゃなかったということです。

 

まずは「有り難し」ことだと「感じる心」が大切であり、

様々なことを「有り難く」感じる人こそ幸せ

であるということです。

 

その有り難さの感情を持ち、それを伝えることで自分だけでなく、幸せな気持ちが相手に伝わるから嬉しく、幸せな気持ちになっているということなのだと気づきました。

 

人それぞれ幸せの価値観は違うと思いますし、それは問題ではありません。

今身近に起きている些細なことを幸せと感じられる人でありたい、

そう思い今日は文章を書きました。

 

皆さんも振り返って見てください。

今日の有り難さを。

今日の幸せなことを。

 

何だか胡散臭い日記になってしまいました笑

決して何かを悟ったわけではございません。

さあグラウンドへ行こう。